その誕生から復活までの歩み

話は1997年に遡る。新潟県豊浦町が新発田市に合併される以前のことである。

豊浦町では「月岡よさこい」「かかし音頭」が月岡温泉を中心に親しまれているが、町のイメージソングともいえる新たな民謡を歌い広めて地域の活性化を図ろうと町が町民音頭造りに乗り出した。

人情、自然、産業を織り込んだ明るい歌詞を公募したところ、幼いころから豊浦に親しんできた新発田市の西園町の元国鉄職員大越正二さん(当時69歳)の作品が見事当選。同市出身の作詞家たかたかしさんの音楽事務所が歌詞の補作と作曲を手掛けることになった。

そして歌手は真咲よう子氏が担当、伸びのある声で歌い上げた。CDとカセットは日本クラウンが約700万円かけて制作した。

♪ハアー春の真木山ヨー、春の真木山みどりに映えてかわす笑顔のうれしさよ・・・で始まる春夏秋冬四番までの曲は、コメどころの収穫の喜びや月岡温泉の雪見酒など、四季の風情をたっぷりと盛り込み、観光PRソングとしての完成度も高い。

既に民謡団体では踊りの練習も始まり、「とようら健康と農業まつり」町公民館会場での披露を皮切りに、来年度は各種イベントで踊りの輪を広げるとのこと。

1997年9月5日 新潟日報下越版


新潟新発田市への合併で一時下火に・・・伝統の「豊浦音頭」復活させたい! 旗振り役は地元公民館

旧豊浦町時代の1997年に作られた豊浦音頭を復活させようと、新潟県新発田市の豊浦地区公民館が動き出した。同館が働きかけ、地元住民が豊浦小学校の児童たちに踊りを伝授。5月中旬に開かれた運動会で全校児童らが披露した。地区の保育園の催しでも踊ってもらうことになった。公民館では豊浦音頭を広く知ってもらい、地域の踊りとしての定着を目指す。

豊浦小の運動会での披露は、運動会の最後を締めくくるプログラム。グラウンドには子どもたちと保護者ら約500人の大きな輪ができた。青空の下、軽やかな音楽に合わせ、親子で笑顔を交えながらの踊りを見せた。

本番を前に、子どもたちは地元で踊りを教える女性(79)らの指導を受け、約2カ月にわたって練習を重ねてきた。

女性は「これほど多くの人が踊るのは、最近はなかった。これでまた踊りが残ってくれるんじゃないか」と満足そう。6年生の児童(11)は「豊浦を盛り上げたいという歌詞だった。今度は僕の世代で広められたらいいな」と話した。

2024年6月25日 新潟日報デジタルプラス