鷺の湯伝説

月岡温泉のはじまりは、「さぎの湯伝説」として伝わり続けています。むかし、月岡温泉の周辺は人が全く住んでいない地域でした。

その地域の一角で、一羽のさぎが足を怪我して休んでいると、お百姓さんが近づいてきたと言います。逃げたさぎがいた場所をお百姓さんが覗くと、そこには湯が沸いていたという伝説が語り継がれています。

温泉が偶然湧き出す

人の居住地ではなかった月岡温泉でしたが、大正末期になると周辺で石油の採掘がおこなわれているなか、偶然にも温泉が湧きだしたのです。それをきっかけに、当時の石油組合専務理事をしていた本間周三郎氏が、石油業から温泉業へと転換したのです。ここから、月岡温泉が石油業として盛んだった地域から温泉地へと変貌を遂げました。上越新幹線の開業をきっかけに月岡温泉は全国へ広まりはじめたのです。また、温泉療養効果が評判になり、療養目的に多くの観光客が訪れるようになりました。

月岡温泉について

月岡温泉旅館組合ホームページ「月岡温泉について」より