現在の紫雲寺町から西の方へ行ったところに紫雲寺という名のお寺がある。その近くの長者舘(ちょうじゃだて)という集落に、立派なお屋敷を持った家があり、人々はこれを真野の長者と言っていた。そこにお福というたいへん遊び好きな娘がいた。
そのころ紫雲寺には何人かの若い僧がおり、お福はそのうちの一人に思いを寄せてしまい、たびたび手紙を送るようになった。その日も使いの者が手紙を持ってきた。若い僧が言うには、私は仏に使える身である。私は前世に犯した罪業(ざいごう)の宿縁から出家したのである。もし、出家しなければその苦難からのがれることができなかったであろう。いま戒律を破れば再び奈落の底に落ち永久に浮かぶことが出来ない。お互い無法な行いは堅く慎まなければならないのだと、使いの者にも言い聞かせ、返事を持たせて帰した。
これを聞いたお福は、もう燃ゆる思いをとどめておくおくことができなくなってしまいすぐ寺へ駆けつけた。そこで住職がお福に話をして納得させようとするが、それを聞き入れようともせず逃げる若い僧を、どこまでも追いかけるのであった。若い僧は、これも前世のさだめと思いながら逃げ回っているうちに、誤って庭先にある池に落ちてしまった。お福もその後を追ってその池に飛び込んだ。ところがお福のからだは、たちまち三〇尺もある大蛇の姿に変わってしまったのである。
さあたいへん、寺中は騒然となった。みんなで大蛇を追い出そうとしたが、鼻をつくような悪臭がたちこめ、そのうち旋風までまきおこり、地響きがしたかと思うと、雷を伴った大雨となった。それがいく日も止むことなく降り続いたのである。この何百年来の大雨に、田畑一面が水をかぶり、そのうち、山からうなりを立てて山津波が押しよせ、たちまちにして大洪水になってしまった。人々は、これを悪魔の仕業(しわざ)かと思うと、生きた心地もなく、ただ恐怖におびえるだけだった。
さて、驚いた、地頭代官衆は名高い大和尚に頼み、ご祈祷をしてもらった。そのかいあってか、七日目にようやくあらしはおさまった。大蛇になったお福はもうそこにいることができない。寺から五里ほど離れた南のくぼ地に移り、そこで四方からの水をぜんぶ集めて潟を造り、そこの主となった。これを人よんで福島潟というようになった。
