郷土出身橋本春雄さんの「新着」山岳写真が届きました。ご覧ください。
飯豊連峰 ダイグラ尾根、晩秋の撮影行
山形県小国口から登るダイグラ尾根は飯豊山詣(もうで)の登拝路でもあった。
この尾根は飯豊本山(2,105m)に接続する唯一の尾根であり、最長の尾根と険しい登行の連続で、別名切歯尾根とも呼ばれ、漢字表記では大嵓(だいぐら)と書く。檜山沢の吊橋を渡ると約700mの直登が始まり休場ノ峰(1,320m)で一服する。この付近から連続する岩稜のアップダウンが始まり、ピークをうまく巻いているが登っては下りをくり返す消耗戦となる。登行に10時間以上、下山に7時間余を要し、飯豊本山下山は午前10時には降りないと車道に着いた時に暗くなる。
この日は、現地でキャンプし日帰りの撮影登山。
撮影地は直登が続く橅(ぶな)の森林帯である。1,100m付近であろうか、前夜の雨で少し濡れて天候の関係もあり、晩秋の橅林の感じとなった。

ダイグラ尾根、晩秋の橅林
この後、連峰唯一のコメツガ林のある千本峰(1,460m)まで登った。このコメツガ林は生態系の遷移か原因不明の立ち枯れの白骨した林が見られる。 鋭峰宝珠山を背景に白骨し立ち枯れしたコメツガ林は深秋の淋しさがあった。

ダイグラ尾根、千本峰のコメツガ林
三好愛吉の墓
4~5前に新発田古文書の会の恒例現地研修が村上市で開かれました。空いた時間に村上市内にある宝光寺を訪れると思いがけなく、三好愛吉の墓を発見しました。

明治-大正時代の教育者。明治3年12月23日生まれ。真宗大教授をへて,明治30年新潟県の北蒲原尋常中学校長,32年長野中学校長,34年二高教頭,44年同校長。
質実剛健の人間教育で,各校の草創期に名校長としての伝説をのこした。大正4年皇子傅育(ふいく)官長となる。大正8年2月11日死去。50歳。越後(えちご)出身。帝国大学卒。